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<サッカー国際親善試合:ウルグアイ3-1日本>◇20日◇札幌ドーム
DF中沢が代表初キャップの高木に、世界の厳しさを伝えた。相棒の闘莉王が右太ももを痛め欠場し、初めて結成したコンビも、連係が合わず痛恨の3失点。高木に「これが世界レベル。でもウルグアイだって世界で勝ててない。他にももっと強い国がある」と言い聞かせた。「和道のカバーを考えたが、後半は難しかった。でも教訓になればいいし、いい薬になったと思いたい」と話していた。
[2008年8月21日6時53分 紙面から]
日刊スポーツ
どこまで弱いわけ?
DF中沢が代表初キャップの高木に、世界の厳しさを伝えた。相棒の闘莉王が右太ももを痛め欠場し、初めて結成したコンビも、連係が合わず痛恨の3失点。高木に「これが世界レベル。でもウルグアイだって世界で勝ててない。他にももっと強い国がある」と言い聞かせた。「和道のカバーを考えたが、後半は難しかった。でも教訓になればいいし、いい薬になったと思いたい」と話していた。
[2008年8月21日6時53分 紙面から]
日刊スポーツ
どこまで弱いわけ?
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ジャズピアニストの山下洋輔(66)が、2日に死去した漫画家、赤塚不二夫さんとの思い出を語った。1970年代、タレントのタモリ(62)らをともに発掘した“爆笑時代”を振り返る。
赤塚さん初体験は、ぼくが大学生のとき。妹が持っていた「おそ松くん」を読んで、食べていたご飯を吹きだすほど爆笑した。
69年に初アルバム「ミナのセカンド・テーマ」を出したときジャケットに赤塚さんのイラストを描いてほしくて、漫画家の長谷邦夫さんを通して、お願いをしたんだ。快く“ベシ蛙”が『きくべし!!』と言っているイラストを送ってくれたんですよ。
私たちが初めてタモリを連れて行ったのは新宿コマ劇場近くの『ジャックの豆の木』という伝説のバーです。筒井康隆さんや赤塚さんたち、論客ばかりがそろう場所でした。
そこで4カ国語マージャンや韓国語の田中角栄、中国語のターザンなどがリクエストされてタモリのギャグが生まれていった。
ぼくなんかバーのママと“オフィス・ゴスミダ”っていう名刺まで作って、マネジャーのまねごとまでしたんだよ。“ゴスミダ”はタモリがデタラメな韓国語を言うときの最後にいつも付けていた言葉なんだ。
ロウソクショーもあったな。赤塚さんとタモリが2人で上半身裸になってロウソクをたらしてもだえるんだよ。
あるテレビ局の素人お笑い番組のオーディションに行ったら、プロデューサーは大ウケ、大笑い。でも、「際どくて、ほとんど放送できないよ」って言われてね。「じゃぁまた新宿で会おうな」って話してね。
そんなタモリを赤塚さんは「この男を九州に帰さない!」と言って、自分のマンションに住まわせた。タモリは赤塚さんが豪邸を持っていると思いこんでいたんだけど、実際は赤塚さん、事務所に寝泊まりしていてね。分かってからも、タモリはマンションに住んで、たまに行くとナイトガウンなんか着て御主人気取り。デビュー前ですよ。
あるテレビ番組で赤塚さんがフンドシ姿で花吹雪の中、日の丸の扇を振り回しているところにタモリが出た。それを見て感激した黒柳徹子さんが赤塚さんに電話をして(テレビ局に橋渡しをしたり、78年8月『徹子の部屋』にゲスト出演させるなどして)メジャーになったという記憶がある。赤塚さんはタモリにとって大恩人なんですよ。
タモリは「オレは絶対お礼なんか言わないよ」って言うんだけど「お前はそういうヤツだ」って赤塚さんは許すのね。「あなたが私の才能にほれたんだから」ってタモリは言い張る。すごい友情ですね。
ぼくも74年ごろ赤塚さんからベンツのスポーツカーを借りたことがあるんだ。(サックス奏者の)坂田明が運転して、(ドラマーの)森山威男と3人で高速を飛ばして演奏会場入り。到着したとき、関係者がビックリしていたよ。唐十郎さんに100万円する赤テントをポンと渡したり、本当に人を面白がらせたり、驚かせるのが好きな人だった。
83年の屈斜路湖ジャズフェスティバルは、アイヌの友人を持つ赤塚さんが企画したもの。司会はタモリでスペシャルゲストに日野皓正、韓国の打楽器グループも呼んだんだよ。
ぼくは「あいつは人をのせてやらせるのがうまい」って言ってもらっていた。
飲みながらお寿司が出てきたときぼくは嫌いなので「今の一手はすごいですねぇ」ってお寿司を並べて囲碁解説をやってみたり。赤塚さんの前だと何か面白いことをしなきゃってね。
漫画ともども既成のものをぶち壊す、破壊を続けていた人が赤塚さん。それを見て、おれたちだって何でもできるって勇気をもらいました。
今どき72歳は早いけど、赤塚さんは私生活も作品もやりつくしたと思う。紫綬褒章のパーティーでニコニコして照れている姿が忘れられません。
ZAKZAK 2008/08/05
素晴らしい人生ですよねぇ。
赤塚さん初体験は、ぼくが大学生のとき。妹が持っていた「おそ松くん」を読んで、食べていたご飯を吹きだすほど爆笑した。
69年に初アルバム「ミナのセカンド・テーマ」を出したときジャケットに赤塚さんのイラストを描いてほしくて、漫画家の長谷邦夫さんを通して、お願いをしたんだ。快く“ベシ蛙”が『きくべし!!』と言っているイラストを送ってくれたんですよ。
私たちが初めてタモリを連れて行ったのは新宿コマ劇場近くの『ジャックの豆の木』という伝説のバーです。筒井康隆さんや赤塚さんたち、論客ばかりがそろう場所でした。
そこで4カ国語マージャンや韓国語の田中角栄、中国語のターザンなどがリクエストされてタモリのギャグが生まれていった。
ぼくなんかバーのママと“オフィス・ゴスミダ”っていう名刺まで作って、マネジャーのまねごとまでしたんだよ。“ゴスミダ”はタモリがデタラメな韓国語を言うときの最後にいつも付けていた言葉なんだ。
ロウソクショーもあったな。赤塚さんとタモリが2人で上半身裸になってロウソクをたらしてもだえるんだよ。
あるテレビ局の素人お笑い番組のオーディションに行ったら、プロデューサーは大ウケ、大笑い。でも、「際どくて、ほとんど放送できないよ」って言われてね。「じゃぁまた新宿で会おうな」って話してね。
そんなタモリを赤塚さんは「この男を九州に帰さない!」と言って、自分のマンションに住まわせた。タモリは赤塚さんが豪邸を持っていると思いこんでいたんだけど、実際は赤塚さん、事務所に寝泊まりしていてね。分かってからも、タモリはマンションに住んで、たまに行くとナイトガウンなんか着て御主人気取り。デビュー前ですよ。
あるテレビ番組で赤塚さんがフンドシ姿で花吹雪の中、日の丸の扇を振り回しているところにタモリが出た。それを見て感激した黒柳徹子さんが赤塚さんに電話をして(テレビ局に橋渡しをしたり、78年8月『徹子の部屋』にゲスト出演させるなどして)メジャーになったという記憶がある。赤塚さんはタモリにとって大恩人なんですよ。
タモリは「オレは絶対お礼なんか言わないよ」って言うんだけど「お前はそういうヤツだ」って赤塚さんは許すのね。「あなたが私の才能にほれたんだから」ってタモリは言い張る。すごい友情ですね。
ぼくも74年ごろ赤塚さんからベンツのスポーツカーを借りたことがあるんだ。(サックス奏者の)坂田明が運転して、(ドラマーの)森山威男と3人で高速を飛ばして演奏会場入り。到着したとき、関係者がビックリしていたよ。唐十郎さんに100万円する赤テントをポンと渡したり、本当に人を面白がらせたり、驚かせるのが好きな人だった。
83年の屈斜路湖ジャズフェスティバルは、アイヌの友人を持つ赤塚さんが企画したもの。司会はタモリでスペシャルゲストに日野皓正、韓国の打楽器グループも呼んだんだよ。
ぼくは「あいつは人をのせてやらせるのがうまい」って言ってもらっていた。
飲みながらお寿司が出てきたときぼくは嫌いなので「今の一手はすごいですねぇ」ってお寿司を並べて囲碁解説をやってみたり。赤塚さんの前だと何か面白いことをしなきゃってね。
漫画ともども既成のものをぶち壊す、破壊を続けていた人が赤塚さん。それを見て、おれたちだって何でもできるって勇気をもらいました。
今どき72歳は早いけど、赤塚さんは私生活も作品もやりつくしたと思う。紫綬褒章のパーティーでニコニコして照れている姿が忘れられません。
ZAKZAK 2008/08/05
素晴らしい人生ですよねぇ。
「日本ハム2-5ロッテ」(24日、札幌ドーム)
星野ジャパンのエースが、まさかの乱調だ。北京五輪前の最後の登板となった日本ハム・ダルビッシュが今季ワーストの5失点、11安打と炎上して4敗目。「(ボールに)勢いはあったと思う。ボール球が多くてカウントを悪くして苦しんだ」と淡々と話したが、表情には悔しさがにじんでいた。
痛恨の一発を食らったのは0-0の四回。先頭の根元に四球を出し、無死満塁のピンチを迎えた。鼻っ柱の強いエースが選んだのはオール直球勝負。大松、今江は連続空振り三振に仕留めたが、続く橋本に、低めの150キロ直球を完ぺきにとらえられ、自身通算3本目となる満塁本塁打を浴びた。「打たれるべくして打たれた。自信を持って投げたボールだから悔いはない」と強がり、前を向いた。
打たれながらも、チームの大黒柱としての責任を果たした。「いない間、貢献できない。試合前から気持ちが入っていました」。北京五輪でチームを1カ月近く離れることを気にかけて、1人で投げる覚悟を決めていた。七回まで投げた直後には首脳陣から交代を打診されたが、続投を志願。だが八回に、さらに1点を許して無念の降板となった。
プロ入り最多の165球の熱投は報われず、今季の自身の連勝は5、夏男の証明となる7、8月の連勝も16で止まった。しかも、2年目の大嶺にプロ初勝利までもっていかれたが、敗戦を引きずっているヒマはない。
「全部、勝てるわけじゃない。こういう日もあるだろうし、気持ちを切り替えてやります」とダルビッシュ。前半戦最後の登板は白星で飾れず不安を残したが、これからは星野ジャパンのエースとして戦っていく。
デイリースポーツ
子供生まれるってそんなに大きいのかなぁ
星野ジャパンのエースが、まさかの乱調だ。北京五輪前の最後の登板となった日本ハム・ダルビッシュが今季ワーストの5失点、11安打と炎上して4敗目。「(ボールに)勢いはあったと思う。ボール球が多くてカウントを悪くして苦しんだ」と淡々と話したが、表情には悔しさがにじんでいた。
痛恨の一発を食らったのは0-0の四回。先頭の根元に四球を出し、無死満塁のピンチを迎えた。鼻っ柱の強いエースが選んだのはオール直球勝負。大松、今江は連続空振り三振に仕留めたが、続く橋本に、低めの150キロ直球を完ぺきにとらえられ、自身通算3本目となる満塁本塁打を浴びた。「打たれるべくして打たれた。自信を持って投げたボールだから悔いはない」と強がり、前を向いた。
打たれながらも、チームの大黒柱としての責任を果たした。「いない間、貢献できない。試合前から気持ちが入っていました」。北京五輪でチームを1カ月近く離れることを気にかけて、1人で投げる覚悟を決めていた。七回まで投げた直後には首脳陣から交代を打診されたが、続投を志願。だが八回に、さらに1点を許して無念の降板となった。
プロ入り最多の165球の熱投は報われず、今季の自身の連勝は5、夏男の証明となる7、8月の連勝も16で止まった。しかも、2年目の大嶺にプロ初勝利までもっていかれたが、敗戦を引きずっているヒマはない。
「全部、勝てるわけじゃない。こういう日もあるだろうし、気持ちを切り替えてやります」とダルビッシュ。前半戦最後の登板は白星で飾れず不安を残したが、これからは星野ジャパンのエースとして戦っていく。
デイリースポーツ
子供生まれるってそんなに大きいのかなぁ
マウスの受精卵が、自らの細胞を分解して栄養を確保し、着床に至ることを、東京医科歯科大の水島昇教授(分子細胞生物学)らが実験で確認した。魚類や鳥類などの場合は卵の黄身や白身から栄養を得るが、哺乳(ほにゅう)類の受精卵の仕組みはよく分かっていなかった。3日付米科学誌サイエンスで発表した。
生物は、飢餓で栄養素が不足した時や出生直後などに、自らの細胞を分解してアミノ酸をつくり、栄養源にするオートファジー(自食作用)という仕組みを持っている。
水島教授らは、受精直後のマウスの卵を電子顕微鏡で観察した。すると、未受精卵では見られない活発な自食作用を確認できた。さらに、自食作用を活発にさせる遺伝子を欠いたマウスを作製したところ、受精は正常に行われるが、ある段階で受精卵の成長が止まって死んでしまい、着床に至らなかったという。
水島教授は「体外受精で受精したのに妊娠しないような不妊症の原因に、自食作用の働きが関係しているかもしれない」と話している。(小林舞子)
asahi.com
今頃わかることって結構あるんですね
生物は、飢餓で栄養素が不足した時や出生直後などに、自らの細胞を分解してアミノ酸をつくり、栄養源にするオートファジー(自食作用)という仕組みを持っている。
水島教授らは、受精直後のマウスの卵を電子顕微鏡で観察した。すると、未受精卵では見られない活発な自食作用を確認できた。さらに、自食作用を活発にさせる遺伝子を欠いたマウスを作製したところ、受精は正常に行われるが、ある段階で受精卵の成長が止まって死んでしまい、着床に至らなかったという。
水島教授は「体外受精で受精したのに妊娠しないような不妊症の原因に、自食作用の働きが関係しているかもしれない」と話している。(小林舞子)
asahi.com
今頃わかることって結構あるんですね
プロ野球の日本生命セ・パ交流戦の表彰選手が25日、発表された。優勝したチームから選ぶ最優秀選手賞(MVP)には、ソフトバンクの川崎宗則内野手が選ばれた。打者のMVPは初めて。川崎は最多となる37安打を放ち、チームトップの打率3割6分6厘を記録したことが評価された。川崎には賞金200万円が贈られた。
セ・パ各リーグから1人ずつ、特に活躍が目立った選手に贈られる日本生命賞(賞金100万円)は、交流戦トップとなる打率4割7厘、29打点をマークした阪神の金本知憲外野手、無傷の5勝を挙げた楽天の岩隈久志投手に決まった。
福岡ヤフードームで会見した川崎は「驚いている」と話しつつも、初のフル出場も果たし、「丈夫な体で交流戦を満喫できた」と笑顔で振り返った。
後半戦に向け、「順調ではなかったが、みんなで一つになり勝ち取った優勝。いい弾みになる。みんなも自信になった」と語り、若手のリーダー格らしい言葉で締めくくった。【田原和宏】
毎日新聞
嬉しいだろうなぁ
セ・パ各リーグから1人ずつ、特に活躍が目立った選手に贈られる日本生命賞(賞金100万円)は、交流戦トップとなる打率4割7厘、29打点をマークした阪神の金本知憲外野手、無傷の5勝を挙げた楽天の岩隈久志投手に決まった。
福岡ヤフードームで会見した川崎は「驚いている」と話しつつも、初のフル出場も果たし、「丈夫な体で交流戦を満喫できた」と笑顔で振り返った。
後半戦に向け、「順調ではなかったが、みんなで一つになり勝ち取った優勝。いい弾みになる。みんなも自信になった」と語り、若手のリーダー格らしい言葉で締めくくった。【田原和宏】
毎日新聞
嬉しいだろうなぁ